立ち直りのプロセス〜入院期間を振り返る〜
これ、病院で撮ってもらった写真です!
こんにちは、車椅子の同志曽塚レナです。
わたしは車椅子になってから2年ちょっとですが、「どうしてそんなに立ち直りがはやいの?」と訊かれることが多々あります。
が、いつも答えに詰まってしまっています。
なぜ立ち直りがはやいのか。もしくは、なぜ立ち直って見えるのか。
それでもやはり自分の中にも葛藤があるんだというのを昨日伺ったJ-Workoutさんで自覚した次第です。
今日はそんな質問にうまくお答えできるようになるため、自分の入院期間を振り返ってみようと思います。
お時間のある方は、わたしと一緒にブラックボックスを開く旅に出てくださると幸いです。
わたしは、脊髄損傷レベルL1です。
L1というのは一番上の腰髄を損傷したという意味ですが、原因は腰椎の脱臼骨折です。
なぜだか運ばれた当時の記憶は曖昧で、レントゲン台に乗せられた際に痛みで「うあっ!」とデスボイスをあげたことしか憶えておりません……。
それでも写真を見ると、呼吸器をつけているのにテンション高いですね。
もしかしたら素の性格もあるのかもしれません。
なにより、はじめは
「脊髄損傷ってなに?調べたけど杖で歩けるようになった人もいるじゃん。リハビリ次第でしょ。てか、わたしなら大丈夫でしょ」
と、根拠のない自信にしがみついていた部分がありました。
そして歩ける歩けないより、もっと気掛かりなことがありました。
「婚活どうしよう」。
わたしは事故の直前に、当時の婚約者と婚約破棄沙汰になっていました。
そのショックからも立ち直れていないうちに、脊損にまでなってしまって。
「もしこのまま車椅子になったら、敬遠されるんじゃないか。少なくとも、歩けていた頃より出会える確率はがくっと落ちるはず」。
そう考え、まだ呼吸器をつけているのにネット婚活を始めました。
行動力の鬼です。うん。
そうして上述のように「もしこのまま車椅子になるなら」という可能性も頭の隅にありました。
それでも、根性でなんとかなる。
他の人にできなくったって、わたしにならできる。
リハビリが始まったら圧倒してやる。
そんな気持ちで、スマホで婚活アプリをやっていました。
こちらは、その後付き合うことになったブラジル人の彼が買ってきてくれたサンドイッチを病院で食べているところです。
この頃、ネットで心理学の「受容の段階」というのを調べていました。
キューブラー・ロスという方が提唱したそうですが、人は自分の死を受け入れるまでに、否認と孤立→怒り→取り引き→抑うつ→受け入れ……という五段階を経ていくそうです。
わたしは死ぬわけではないけれど、きっと自分の今後負うであろう障害への受容もこの段階を踏むのではないか。
そう思い、「今のわたしは自分の状態を否認しているな。今後怒りがわいてきたり、抑うつ状態になったりするのだろうな」と、冷静でいられるよう勉強したりもしました。
もがいていましたね。
ですが、怒りの感情はいくら経っても訪れませんでした。
その代わり、がむしゃらにリハビリを頑張る「取り引き」の段階が訪れました。
「やりすぎるとよくないよ!」
理学療法士の先生やナースさんにたくさん心配をかけました。
それでも、やめられなかった。
寝返りも打てなかったあの頃から、歩行器で歩けるまでに回復したんだから、きっと、このまま行けば歩けるんだ。
杖なしは絶望的でも、絶対に杖一本で歩いてやる。
エスカレーターにも乗ってやる。
諦めるもんか。わたしはすごいんだ。
頑張れるんだ。
普通の人が無理なら、普通の10倍やればいい。
そんなふうに自分を奮い立たせて、毎日廊下で腿上げや踏み出しの練習をしていました。
その頃よく聴いていたのが、Britney SpearsのCircusという曲です。
自信に満ちた強い女性の曲を聴いて、自分ならやれる、自分にはできると言い聞かせて汗だくになっていました。
歩けた頃はこんなハイヒールを毎日履いてました。
それでも、ある日、お医者さまに呼び出されました。
「そろそろ退院日を決めよう」。
わたしは目を丸くしました。
だって、まだロフストランドクラッチ2本でしか歩けない。
杖1本の練習もしたけれど、程遠い。
わたし、まだ歩けてない。
まだ頑張りたい。
「わたし、一生車椅子ですか?」
こう問うた時、その場の全員が一瞬黙りました。
その瞬間、ぶわっと涙があふれました。
きっとほんとうに1リットルくらい涙が出たと思います。
自分の中の自分への期待をやめなければならない瞬間でした。
泣き崩れるわたしに、言葉をかけられる人はいませんでした。
母だけがわたしの体をぎゅっと抱きしめてくれました。
それからです。
リハビリの時、杖で歩く練習に重きを置いていたのをやめて、車椅子での段差の練習やキャスター上げの練習に重きを置くようになったのは。
↑昔はベルサイユ宮殿もひとりで歩きました。
スリにあわないよう、バッグをぎゅっと握りしめています。
うすうす、わかっていました。
だって、左足首がぶらんぶらんなんです、わたし。
人間が足を踏み出すためには、必ずどちらの足でも片足立ちができなければならない。
わたしは、左足で片足立ちはできません。
その時点で、限界があることを頭ではわかっていました。
そうして退院して今に至ります。
車椅子からの世界は、健常者の頃の世界とは180度違います。
わたしはそれを楽しむことにしたんです。
するしかなかったんです。
するしかないなら、
全力で楽しむしかないんです。
いつしか、わたしは歩く練習をやめていました。
代わりに、涙の日々は減っていきました。
生きているんだから、生き残ったんだから。
自分が属しているこの世界を、全力で楽しむしかないんです。
(※患部から感染を起こし、うっすら生死をさまよったりしています)
今は、こんな素敵な仲間ができました。
絶望した先には、絶望した先なりの世界が続いていました。
そこにはけっして小さくない希望がありました。
こんな感じです。
あれ、結局、「なんでそんなに立ち直りがはやいの?」という質問への答えにはなっていないや。
では今日の結論。
結論:わたしもわたしなりにうっすらもがいていました。
きっと本当に人それぞれですよね。
早く立ち直るのだけがいいことじゃないと思うんです。
自分の気持ちに正直に、泣きたい時は泣いて、つらいときはつらい気持ちに沈んで。
どんな経験も宝になると信じて、邁進していきたいです。
わたしはわたしを誇りに思います。
車椅子は、その勲章でもあるのです。
立ち直りのプロセス〜J-Workoutさんにお邪魔してきました〜
こんにちは!車椅子の同志、曽塚レナです。
今日はあるお仕事の関係で、J-Workoutさんにお邪魔してきました。
さて、J-Workoutとは?
脊損の車椅子ユーザーなら一度は調べたことがあるであろう「機能の回復」について真剣に取り組んでいらっしゃるワークアウトジムです。
一度損なうと二度と回復しないと言われる脊髄の機能を、多角的なアプローチで回復を目指すジム。
でも、疑問もわきますよね。
「医者が不可能って言ってるものを可能にする?それって怪しくない?」
まるで、希望を持たせて搾取するビジネスかのような悪い印象で話してらっしゃる方もいます。
いったいどんなところなのか、潜入してきました!
入り口の巨大なエレベーターをのぼってロビーに着くと……
我らがココライフ!!!!!
この時点で和みまくりの曽塚。
ココライフが置いてある場所はどこであろうとホームです。ホーム。
中を案内していただきました。
まず第一印象は明るい。
皆さん気持ちよく挨拶してくださって、厳しいジムというよりはアットホームなイメージでした。
一見リハ室のようにも見えるのは、移乗できるベッドが設置されているから。
ですが、「医者や理学療法士がやらない領域をやる」のですから、J-Workoutにしかない設備というものもいくつも天井からぶら下がっています。
細かく機械を説明していただきながらジム利用者さんたちに目を走らせると、みんな笑顔で頑張っていらっしゃいました。
伺うと、半年に一度?かな?前回からどれだけ成長があったかのフィードバックがしっかりあるそうです。
自分の成長が数値になって目の前に現れるからこそ、モチベーションにも繋がるそう。
そうして、こうして頑張っていらっしゃる皆さんを目の当たりにして気付いたこと。
自分の中に、今のままでいたい、と思うちいさな気持ちがあるということです。
要するに、「機能回復なんていい、治らなくていい」という後ろ向きな気持ちです。
わたしは死ぬまでこの車椅子と共に生きる覚悟ができています。
一生歩けないであろう自分を受け入れている。
だからこそ毎日が新しい発見で楽しい。
歩けないという世界に迎合しています。
きっと、諦めることで覚悟を決めて生きてきたのだと思います。
この二年間。
だからこそ、目の前に治る可能性がちらついたのが胸にちくりと刺さりました。
歩ける可能性を諦めず、真剣に努力されている利用者さんたちが眩しくて一歩引いて見守っていたのは、そういう理由からでした。
それでも、始めた頃よりずいぶん機能回復されたというある利用者さんは、誇らしげに汗を光らせていてすごく素敵。
でも、そんな可能性に手を伸ばすのがこわい。
そんな、複雑な気持ち。
結論:諦めない勇気というのは間違いなくある。
そして、そんな皆さんを本気で歩かせてあげようとバックアップするJ-Workoutの職員の方々は真剣。
久しぶりに魂が揺さぶられるような貴重な体験をさせていただきました。
J-Workoutさん、ありがとうございます。
そして!
その後、中学の頃からの親友のまいこと緊急会議。
まいこは希少癌を抱えたサバイバーで、ギタリストでもあります。
よく一緒に授業サボりました。
このまいこと新しいこと始めるかも。
15年越しの再結成、熱いじゃん?
そんなわくわくと共に帰宅です。